丸くなるな星になれ
最初の投稿で何を書いていいか分からないけど、座右の銘書こうかなあと。
1人っ子、1人孫で育てられた僕は多分大切に丁寧に、そして甘やかされて生きてきたんだと思う。
自分の甘さを実感したり体感した訳では無いけど、たぶんそう。
世田谷のお金持ちが住む町で育って、1人っ子で物心ついた時から片親な僕は、学童でも家でも1人で遊ぶ事が多かった。友達が居ないことは無かったけど、お金持ちの家の子は習い事とかで忙しくて遊べないし、僕は学童で1人で学校に残るし、といった感じでなんか寂しかった記憶がある。
だから、人と話すのも得意じゃなかったし、自分の意見を言う場があんまりなかった。
だから、兄弟がいる子が当時はすっごく羨ましくて羨ましくてしょうがなかったなあ笑
でも、小学3年生の時に川越に引っ越してきて、奇跡的に同じ学年の子が、同じマンションに3人も住んでて、しかもその内の1人は隣の家だった。ほんとにあれは今思ったら転機だったなあと。それからは毎日学校が終わってから遊びまくってた。遊戯王したり、ドロケイしたり、隣の小学校忍び込んでカブトムシ取りに行ったり。
今思ったらマジで最後のやつは訳分からんけど、当時は何の違和感も感じずに忍び込んでた。
でも、それでも学校では目立ちもせず、普通の子で生きてきて、話したり、意見を言う事は苦手で、授業中とかも手を挙げる子では無かった。
これは、多分大人になった今でも引っ張り続けている現象で、話すのは大学の授業のおかげで治った気がするし、中学、高校、大学と環境が変わる事に慣れるようになった。
でも、本音を隠さず言うって事は今でも苦手意識があるなあと。
でも、大学の授業や、ものづくりをしていくうちに、それも克服してきた気がして、僕が本当に創りたいものはこれなんだ。それじゃない。と言えるようになった気がする。
でも、意見を言うとやっぱり先生とか友達には理解して貰えずに嫌われたりすることもあった。
意味わからない。
なんでそうなるの。
ちょっと変だね。って
それが当時は嫌だった。
今は言われる度に嬉しくなった。
そのきっかけが、母親にある時言われた言葉で、座右の銘にしてる言葉なんだけど、
全部出来るって、何も出来ない。
何かに特化しなさい。
って言葉なんだけど、ものづくりしてる僕にすごく刺さって、
その後に母親は、
全部出来る様になるって事は全部が平均なの。
それじゃあ、いざ誰かが頼りたい時に、自分の名前は出てこない。結局何かに特化してる人に頼りたくなるもの。
名前が出てくる人になりなさい。
って言われて、
その時に、あ、嫌われてもいいやって思った。全員に好かれなくても、何処かの誰かが好きでいてくれたらってそれでいいや。って思えるようになった。
そんな時にビールの黒ラベルのCMで
丸くなるな星になれって言葉を聞いて、
タイムリーやなあって思いながら、同じものを感じた。
凄くまとまってるキャッチコピーだから、これも好き。
全部出来るって、何も出来ない。
丸くなるな星になれ。
これが僕の座右の銘です。
人生1度きり、初めて産まれたんだもん。
不器用でいいよ。でもがっついていこう。
p.s.
ビールはエビス派なんです。ごめんなさい。
あ、でも黒ラベルのラガーは大好きです。
そして、星じゃなくて、尖ってる太陽の写真しか無かった。ごめんなさい。
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